益城町出身の女子教育者・矢島楫子の一生が映画化

益城町のプレスリリース

12月17日、益城町の「四賢婦人記念館」で、「われ弱ければ 矢島楫子伝」の制作会見が山田火砂子監督らにより行われました。

 日本の女子教育や女性の地位向上に尽力し、今日の男女共同参画社会の礎を築いた矢嶋家姉妹「四賢婦人」、なかでもその活動を海外にまで広げておこなった矢嶋楫子さんの生涯が映画化されます。
 この映画制作にあたり、矢嶋楫子の生誕地である益城町で12月17日、山田火砂子監督と制作会社「(株)現代ぷろだくしょん」の上野有プロデューサーが記者発表をおこないました。
 最新作・日本で初めて女医になった萩野吟子の映画「一粒の麦 萩野吟子の生涯」の監督を務めた山田監督が、吟子の師である「矢島楫子」に興味を持ち、原作「われ弱ければ 矢島楫子伝」(三浦綾子・著)を読みその生き様に感動して、映画化することととなりました。
 山田監督は「女性が強くなり、国のことを考え行動するような女性がさらに出てくることを期待して制作したい」、「女性への応援歌として作りたい」と意気込みを見せました。
 クランクインは来年の7月を予定しており、令和4年1月に完成する予定です。

 

  • 「四賢婦人」とは

 近代日本において女子教育や婦人解放運動に尽力し、今日の男女共同参画社会の礎を築いた矢嶋家姉妹、竹崎順子(3女)・徳富久子(4女)・横井つせ子(5女)・矢嶋楫子(6女)の姉妹のことです。これら姉妹は益城町で生まれ育ち、男性社会が色濃く残る時代にあって、いずれも女性の地位向上のためにその一生を捧げました。「四賢婦人」は、今日の女性史上に名をなす女性たちに多くの影響を与えています。

 

  • 矢嶋楫子

 矢嶋楫子は、天保四年(1833年)に今の熊本県益城町に生まれます。封建時代から近代社会へと、新しい日本を女性自 らの手で築くのだという気概を持って文明開化に挑んだ生涯を送ります。当時の女性は、人間以下、人間扱いされなかった時代に、教育・宗教・ 言論・美術・社会全般の分野で、自らを主張し始めた女性が楫子です。
 婦人参政権運動、禁酒運動、廃娼運動、夫婦一夫一婦制、男女平等論など、 社会改革運動にも力を入れ、その見識は百年先をも見据えていました。現在もある女子学院初代校長、キリスト教矯風会を設立、若い日に嫁いだ先の夫が酒乱で、小刀で腕を切られたり、目が見えなくなるほど働かされて、明治元年に離縁しますが、日本で女性の方から離縁状を出した初めての女性と言われています。ジャーナリスト・徳富蘇峰と小説家・徳富蘆花の叔母でもあります。
 大正10年88歳の高齢でワシントン平和会議に出席の際、米ハーディング大統領より記念の花器を贈られ、その功を称えられました。また大正14年、従五位勲五等に叙されました。

 楫子は日本の世の男性陣から顰蹙を買っていました。離婚後に、 猛勉強をし、 40歳にして、小学校の先生となります。そして、 90歳になろうとしているときにアメリカに渡るなど、老いてなお果敢な人生を送り、 女性解放の先駆者となった矢嶋楫子 93 年の生涯を描きます。 女性のために闘って下さった楫子の勇気は、現在の私達にとっては感謝してもし尽くせない功績です。

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