アニメーター・中村和子展を開催

有限会社オフィス・ケイのプレスリリース

東映動画の第一期生として『白蛇伝』などの作品に参加した後、虫プロや手塚プロ・アニメ部の創設に加わり、女性アニメーターの草分けの一人として多くのアニメ作品に携わってきた中村和子(2019年8月死去)を偲ぶ作品展を開催します。アニメ作品の他、油彩画、墨絵、アクリル画などを紹介します。作品と共に、中村和子の人となりを知ってもらう機会として企画しました。なお、展覧会タイトル文字は中村和子の絵画の師・松田正平の書によるものです。

 

●中村和子の略歴
本名・加藤和子。1933年、満州国旅順に生まれ、’52年女子美術大学洋画科に入学。宇部高校時代から、洋画家・松田正平の指導を得て、国画会に入選。’56年、東映動画(現・東映アニメーション)の第一期生として入社。日本初のカラー長編劇場用映画『白蛇伝』で動画からセカンドに昇格、一部原画も務めた。その後、『西遊記』制作時に原案者の手塚治虫と出会い、虫プロに移籍。『ある街角の物語』『鉄腕アトム』『千夜一夜物語』『クレオパトラ』『W3』『リボンの騎士』などで原画、作画監督などを務めた。手塚治虫と同時に虫プロ退社した後は、やなせたかしの依頼を受けてサンリオのアニメ部創設に加わり『小さなジャンボ』などの作品を担当。その後、再び手塚治虫に呼ばれて、手塚プロダクション内でアニメ制作を開始。長編映画『火の鳥2772』(’80年/作画監督)などの制作に取り組んだ。以降、松田正平を師と仰ぐ画家たちによる「風の会」に出展したり、各種の創作活動にも取り組むが、晩年は下肢の大手術後、自宅療養生活が続いた。2019年8月3日、夫の介護のもと、永遠の眠りについた。

東映動画時代の中村和子東映動画時代の中村和子

●国登録有形文化財 島薗家住宅(東京都文京区千駄木3-3-3)
島薗家住宅は昭和7年に建てられた。島薗家は代々医者の家系で、島薗順次郎は脚気とビタミン不足の関係を証明したことで知られている。設計者は、明治末期から昭和にかけて活躍した建築家矢部又吉で、川崎銀行本店など銀行建築を多く手がけた。島薗家住宅は、西に洋館部、東に和館部が配置された「和洋並置式」で建てられている。ドイツ建築に見られる装飾や昭和初期に流行したスパニッシュ様式の意匠などを見ることができる。

島薗家住宅島薗家住宅

【本展の主催、お問い合わせ】
(有)オフィスK 加藤眞人
〒107-0062 東京都港区南青山2-22-14フォンテ青山1403
TEL: 03-6721-1321 FAX: 03-6721-1323
E-MAIL: kat@abox9.so-net.ne.jp

 

 

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