西原商会 presents「村上“ポンタ”秀一 トリビュート 〜One Last LIVE〜」一青窈、福原みほの追加ゲストが決定!

株式会社WOWOWのプレスリリース

これまでに数々の著名なアーティストのサポートを務め、デビュー50周年を目前に逝去した日本を代表するドラマー「村上“ポンタ”秀一」。同氏の音楽人生を祝福するトリビュートコンサートを斉藤ノヴが発起人となり、2022年3月11日(金)東京国際フォーラムにて開催されます。

参加ゲストアーティストには、大黒摩季大貫妙子角松敏生近藤房之助佐藤竹善ジャンク フジヤマ未唯mie森高千里(※五十音順)の出演が既に発表されていますが、今回、一青窈福原みほの参加が追加決定いたしました。
更に、ゲストミュージシャンとして、バカボン鈴木(Ba)、柴田敏孝(Keys)、仙波清彦(Dr)、SATOKO(Dr)、松下マサナオ(Dr)、国場幸孝(Dr)、佐藤奏(Dr) の出演も決定。

なお、本公演では、初の試みとなる「ピンク・レディー」の名曲を未唯mieとのスペシャルコラボ企画として、大黒摩季、一青窈、森高千里による競演や、ポンタ自身の“ドラム・サウンド“と角松敏生が最後の共演も予定されています。角松敏生にとって、デビュー以降、数多くのアルバム、楽曲でタッグを組んできた特別な存在であり、彼との絆を確かめ合う最後の共演は、ファンにとっても最大の見どころとなります。

彼のビートに触発され続けた一流のミュージシャンが一夜限り集結し、日本ポップス史に燦然と輝く功績を残されたレジェンドドラマーとの思い出をファンと共に振り返る、ラストライブが遂に開催されます。

 

  • 【西原商会 presents 村上“ポンタ”秀一 トリビュート 〜One Last LIVE〜】公演概要

・日程:2022年3月11日(金)OPEN18:00/START19:00
・場所:東京国際フォーラム ホールA
・出演:大黒摩季/大貫妙子/角松敏生/近藤房之助/佐藤竹善/ジャンク フジヤマ/一青窈/福原みほ/未唯mie/森高千里
※バンドメンバー:斉藤ノヴ(perc)/大坪稔明(Arrange,Keys)/半田彬倫(Keys)/岡沢章(Ba)/天野清継(Gt)/Atsuki(Tp):FIRE HORN/橋本和也(Sax)/KAZCO(Chorus)/浜田美樹(Chorus)/村石雅行(Dr)
※ゲストミュージシャン:バカボン鈴木(Ba)/柴田敏孝(Keys)/仙波清彦(Dr)/SATOKO(Dr)/松下マサナオ(Dr)/国場幸孝(Dr)/佐藤奏(Dr)
・チケット:VIP席 18,000円 (前方席保証、公演限定ドラムスティック付き)/ S席 12,000円 / U-25席 3,000円
※一般販売(先着):2/5(土)10:00~
※チケット販売URL(イープラス)https://eplus.jp/murakamiponta/tribute/
・主催: WOWOW / フジテレビ / BSフジ / 産経新聞 / ワイズコネクション
・オフィシャルサイト:https://ponta-tribute.com
・問い合わせ:DISK GARAGE 050-5533-0888 (平日12:00~15:00)

 

村上“ポンタ”秀一 
日本を代表するドラマー、プロデューサー。1972年フォーク・グループ“赤い鳥”に参加。以降、泉谷しげる、井上陽水、大黒摩季、大貫妙子、角松敏生、桑田佳祐、佐藤竹善、DREAMS COME TRUE、松任谷由実、山下達郎、吉田拓郎など、数々のアーティストのレコーディング、ライヴに参加、そのレコーディング曲は14,000曲を超える。革新的なバンドPONTA BOXを結成し、12枚のアルバムをリリース。ジャズバンドとして驚異的なセールスを記録する。スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演、フジテレビ系「ニュースJAPAN JAZZ GIANTS」レギュラー出演や同局『スーパーニュース』の音楽を担当した。また、ソロ・アルバム、コラボレーション・アルバムも多数リリースしている2018年には中野サンプラザホールにて数々のアーティストを招いて45周年記念コンサート「音楽境地」を4月と11月に開催し大きな話題を集めた。2021年3月9日視床出血により逝去した。

 

  • 出演者からのコメント(全文)

 

角松敏生
『今から41年前、右も左も判らぬまま、あれよあれよと担ぎ出されるようにレコードデビューできた自分が幸運だったのかそうでなかったのか今もって解らないままである。ただそのファーストアルバムのレコーディングで経験したことは貴重な宝だ。名だたるスタジオミュージシャンに囲まれたセッションは20歳の音楽好きの若者にとってエキサイティングなことには違いなかっただろう。しかし同時に、自分の未熟さを痛感した瞬間であり、プロフェッショナルというのは、何をしてプロフェッショナルというのか、その現実を突きつけられ孤独に堕ちて行った経験でもあった。
そんなレコーディングの休憩時間での出来事。一人トイレで、ため息混じりに用を足していると、たまたま彼が隣に来て用を足し始めた。思わぬことに驚き、彼の顔を見上げる。すると彼は、小声で話しかけてくれた。
「あんま、カタくなるなよ」「あ・・はい」それが彼との最初の会話だった。その時彼が見せた笑顔は今も忘れられない。』
 

 近藤房之助
『やっぱり、大村憲司、けんちゃんが亡くなる前、バカボン鈴木等と廻ったツアーが強烈に思い出されるね。ツアーマネージャーが血尿出すほどトラブル続きの旅だったけど、良い思い出です。ポンタ氏はとても元気で、毎晩のように酒を飲んだ。肝臓破りバンドの面目躍如。とても、ダンディーな人でした。』
 

 大貫妙子
『まだ20代の頃、ソロアルバムをつくり始めて一緒にアルバムに参加して下さった坂本龍一さんなど共に、ライブハウスに出るようになった。その時のドラムが村上さんだった。ライヴ終了後に、坂本さんから「ポンタが、たあぼおは、声ちっちゃくて、全然聞こえねぇって言ってたよ。」と聞かされ、それがトラウマとなった。ステージが怖くなりそれでも努力し、トラウマから解放されたのは40歳を過ぎてからだった。世間には褒めて育てるというのがあるようだけれど。ポンタさんの正直な一言で、自らに厳しく歌と向かい合うことができたことに、心から感謝しています。』
 

未唯mie
『PINKLADYデビュー曲の「ペッパー警部」を初め、数曲のオリジナルレコーディングを担当して下さったポンタさん。あれから29年たったPLメモリアルコンサートツアーのグランドフィナーレにご登場頂いたことで、私の音楽人生は一変しました。
「俺、mieちゃんがLIVEするなら、手伝うよ」この言葉どおり、メンバーを集めて下さったり歌う楽曲の方向性を一緒に考えて定期的なLIVE開催にご尽力下さいました。そのお陰で!音を奏でる真の喜びと難しさを深く感じられ、楽曲への向き合い方と同時にミュージシャンとの音の会話に心震える想いを知りました。ポンタさんあっての今の私。感謝の念に堪えません。ありがとうございました。』

 

 大黒摩季
『とにかく私にとってポンタさんは「初めての男❤️」なんです。私の声が初めてCDになった曲、しかもそれが敬愛してやまないアレサ・フランクリンのカバー曲「Respect」で、その時のドラムがポンタさんでした。それまではドラムって、ベーシックを支えているものだと思っていたんだけど、あんなに歌って攻めて、攻撃的だったりするのに、突然父性があったり。生まれて初めてこんなに感情的な楽器なんだと知りました。そんな人が最初の男になっちゃったから、私のドラマーを選ぶ人生は、引き算ばかりでした。だから死ぬほど今会いたいです。本当に生まれ変わって私を見つけて欲しいです。I L♡VE YOU so much !!! 』
 

森高千里
『ポンタさんのアルバム「Welcome to My Life」のレコーディングに呼んで頂いたことは本当に驚きと感激でした。緊張の中ドラムを叩かせて頂きましたが緊張し過ぎてほとんど覚えていません。レコーティングでお逢いした時に、私のドラムを褒めて頂いた事がとても嬉しくて光栄でした。 』
 

一青窈
『「ちょっとさ、いい曲があってさ」と留守電が入っていて、待ち合わせ場所に行くといつもmix MDを渡してくれました。素敵なloungeBARで葉巻を燻らせていたポンタさん。素敵なコートで颯爽と帰ってゆく姿を見つめながら、あー、なんて格好イイんだろう!!と思わせてくれる方でした。「MDの方がね、断然音がいいんだよ」と教えてくれたその日早速、家でプレイヤーでかけてみると確かにそうかも、と大納得。大人としてのカッコいい生き様についても大変勉強させていただきました。』
 

福原みほ
『初めてご一緒したアレサフランクリントリビュート。大御所なのに気さくに話しかけてくれ、演奏も丁重に探りながら音作りをされる姿に脱帽でした。ポンタさんの姿勢から、たくさんのことを体で吸収させていただきました。これぞ魂の音楽と。何度もライブの際もこのテンポだね?と顔で確認して下さる優しさ忘れません。大好きなポンタさんサウンド、ポンタさんの場所に行くまであと何年かかるか分かりませんが、ずっと私の細胞で育てていきます。 』
 

ジャンク フジヤマ
『ポンタさんとの交流は、20代の半ばも過ぎて進退を考えつつ、初めて世に放ったアルバムからだった。その音を気に入ってくださったポンタさんからのアポを受け、渋谷にてはじめましてのご挨拶。開口一番ライブやろう!と。何かの冗談かと思った。無名中の無名である自分がいきなりあの村上ポンタ秀一さんと同じステージに立つなんて…。冗談ではなかった。そしてその模様はアルバムにもなった。その日から10数年、僕のサウンドの屋台骨を背負いつつ、振り返るとシャイな笑顔で応えてくれました。数日前、ライブ終わりにハグしてくれた時の夢を見ました。気がつくと泣いていました。温かな人柄に感謝しかございません。ありがとうございました。またいつかきっと。』

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