【東京都足立区】「戦争の記憶」を「記録」として残し次の世代につなぐため、戦争体験者のインタビューなどを収録した広報番組を制作

足立区のプレスリリース

東京都足立区は終戦から77年が経過し、実際に戦争を体験した方から話を聞く機会が減っていることを背景に、区内在住の戦争体験者からお話を伺い広報番組を制作しました。傷つきながらも戦中・戦後を生き抜いた体験者が語る、忘れてはいけない「戦争の記憶」を「記録」として未来につなぎます。また、足立区の広報紙・あだち広報8月10日号では広報番組で紹介しきれなかったお話や、足立区の戦跡マップなどを特集。さらに、足立区ホームページに広報番組に出演した方々のロングインタビューを掲載します。

 

 

 

昭和20年(1945年)の終戦から77年。戦争を体験した方から、直接話を聞く機会が少なくなってきました。今回、足立区は今できることとして、当時の体験や記憶を映像に残すことで、次の世代に「語り継ぐ」広報番組を制作しました。

 

  • 「真珠湾攻撃」に出撃した、現在足立区在住の吉岡政光さんへ近藤区長がインタビュー

日本とアメリカが戦争に突入するきっかけとなった昭和16年(1941年)12月8日未明の真珠湾攻撃。その攻撃に攻撃機の乗組員として参加していたのが、現在足立区在住の吉岡政光さん(104歳)です。近藤やよい足立区長が聞き手となり、アメリカと戦争することを知った際の、「もう帰ってこられない」と覚悟を決めた心境や、「どうせ死ぬんだから」と全員落下傘バンドを着けず出撃したことなど、当時の体験談が語られています。
 

  • 「千住の空襲」「学童疎開」「戦時中の生活」体験者が語る

東京大空襲で多数の死傷者がでたことは多くの方が知っていることですが、足立区にも空襲の被害がありました。
「実際に足立区内で空襲を体験した方」「親元を離れて足立区外に疎開した方」「戦時中の生活」など、戦争体験の「記憶」が語られています。

●死と隣り合わせだった、あのころの千住
「空を見上げると焼夷弾がどんどん降ってきていて、空が明るかった記憶がある」と生々しい空襲の記憶を語った相川勤之助さん(85歳)。そのほかにも家に直撃した不発弾や、焼夷弾の威力について語られています。

●夜が明けると、そこは焼け野原だった
長谷川浩平さん(87歳)からは「西新井橋の上に焼夷弾の燃え殻があったのをみつけ、”こんちくしょう”と蹴っ飛ばしてやった」と、当時の憤りや悔しさを隠せなかった心情が語られました。

●自分たちが国を守るという使命感が強かった
戦時中でも井戸端会議があったことや、町の婦人会会長の号令のもと、竹槍を持った訓練、焼夷弾が落ちてきたときに消化するためのバケツリレー訓練が行われた際の心境を語った鈴木博子さん(90歳)。終戦を知った際の不安な気持ちなども語られています。

●寂しく、ひもじく、辛かった疎開生活
質素な食事や、月に1回程度しか風呂に入れずシラミが出たことなど、厳しい学童疎開の生活を語った木嶋孝行さん(87歳)。疎開先で終戦を知った際の心情も語られています。

≪広報番組「1941–1945 -戦後77年- あだちの記憶を語り継ぐ」
●番組概要
戦後77年。真珠湾出撃や空襲、学童疎開など戦争を体験した方々が、当時の記憶を「語り継ぐ」番組。
そして私たち、次の世代が戦争を語り継ぐ。二度と悲劇を起こさないために。

●放送予定日
・ジェイコム:8月6日(土)から8月15日(月) 午後0時30分から午後1時
・YouTube:足立区公式チャンネル「動画deあだち」配信:8月6日(土)
・エムキャス:8月15日(月)から10月15日(土)
 

  • 足立区の広報紙・あだち広報8月10号で同内容を特集

あだち広報8月10日号で、広報番組の内容を特集記事として掲載しています。その他、番組で紹介しきれなかったお話や足立区の戦跡マップを紹介しています。また、足立区ホームページでは広報番組に出演した方々のロングインタビューを掲載します。

●あだち広報(足立区ホームページへ)

https://www.city.adachi.tokyo.jp/hodo/adachikoho/2022/index.html

●ロングインタビュー(足立区ホームページへ)

https://www.city.adachi.tokyo.jp/pickup/interview_yoshioka.html

https://www.city.adachi.tokyo.jp/pickup/kataritsugu.html

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