文化庁のプレスリリース
日本の近代化が進み、海外からジャズやロックなどの新しい音楽が怒涛のように押し寄せてきた昭和期、邦楽に大きな変化が訪れます。様々な作曲家や演奏家が時代の変化と音楽の新しい様式と格闘し、邦楽の世界を広げようとしてきました。昭和41年(1966)年に開場した国立劇場も、そうした流れを受け、邦楽の新たな可能性を半世紀以上にわたって開拓し続けてまいりました。
本年10月末をもって国立劇場は再整備工事のため一旦閉場いたします。そのさよなら公演の一つとして上演する「現代邦楽名曲選」は、日本が邦楽の可能性を探り続けたその足跡をたどる一大イベントです。その足跡をたどることにより、邦楽の将来性を期待させる意欲的な催しとなるでしょう。
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国立劇場の「現代邦楽」への試みを振り返る総決算
正倉院の昔から連綿と続いてきた「邦楽」に大きな変化がもたらされたのは、明治維新でした。文明開化により、日本に西洋の音楽、すなわち「五線譜の音楽」が入ってきたのです。珍しもの好きの日本人は新しい音楽に飛びつき、折からの社会の西洋化・近代化の波に乗って、新しい音楽はあっという間に日本の社会に定着していきました。その中で、「邦楽」に西洋の新しい音楽を取り入れ、新時代の「邦楽」を目指す動きが始まります。大きな戦争を経て戦後、現代音楽の気鋭の作曲家による新曲ラッシュにより、1960年代後半には邦楽ブームを巻き起こします。国立劇場が開場したのは、その邦楽ブームの真っただ中である1966年のことです。国立劇場は開場以来、古典の上演だけではなく、「邦楽」を現代に結びつけるための数々の試みを行ってまいりました。その試みの中心となったのが、新曲の委嘱でした。
今回の公演では、「現代邦楽」の代表的な作曲家による時代を彩った名曲の数々を取り上げた2時開演の部と、国立劇場が委嘱し発表した作品の中から、選りすぐりの名作をお送りする5時開演の部をお楽しみいただきます。
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六つのテーマ① 雅楽アンサンブル 「現代邦楽」二人の巨人
今回の公演では選曲に当たって、2時の部と5時の部でテーマ別に曲を配置。昔懐かしいドーナツ盤レコードのA面B面のように、作曲家の個性や思想が音楽にどのように反映しているかを聴き比べていただけるプログラムになっています。
宮城道雄
そのテーマの一つ目は、邦楽器の合奏の可能性です。明治以降、オーケストラの演奏様式が日本にもたらされ、邦楽の世界でもオーケストラ形式での演奏が移入されます。その中で、雅楽の合奏形態に着目したのが、宮城道雄《みやぎみちお》(1894-1956)です。幼少の頃、病で失明したことを契機に音楽(箏曲)の道を進んだ宮城は、箏曲家の最高位である「大検校」の称号を得ますが、一演奏家として満足することなく、作曲家としての道を選びました。そして、箏曲に五線譜を取り入れるなど、これまでの邦楽の伝統を打ち破る、斬新な試みを行いました。
宮城の代表曲といえば、今やお正月の代名詞である『春の海』(1929)ですが、この度上演するのはその前年に作られた『越天楽変奏曲(えてんらくへんそうきょく)』(1928)(2時の部)です。“雅楽オーケストラ”ともいうべき傑作で、その和と洋が調和したハーモニーはとても美しく洗練されています。
武満徹
一方、戦後の邦楽ブームをもたらした作曲家の一人として、武満徹《たけみつとおる》(1930-1996)がいました。独学で音楽を学びながら、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開した武満は、1960年代、和楽器による音楽作品を発表します。1966年に発表された『エクリプス』は、琵琶と尺八というこれまでの日本の伝統的な音楽では見られない組み合わせによる曲でした。『エクリプス』は指揮者の小澤征爾により、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であったレナード・バーンスタインに伝えられ、翌年、同団125周年記念の委嘱作品として『ノヴェンバー・ステップス』が完成しました。この作品の成功により、武満の現代作曲家としての名は世界中に高まりました。
国立劇場は武満に雅楽の新曲を依頼します。そして完成したのが今回上演する『秋庭歌(しゅうていが)』(1973)(5時の部)です。日本人にとっては聞きなれた雅楽の響きの中から、突如として秋の庭の風景が立ち上がってきます。武満の緻密に計算されたスコアは、和洋折衷を超えた新たな境地を開き、本作は武満の代表曲として再演が重ねられています。
「現代邦楽」を飾る二人の巨人による雅楽アンサンブルを、心ゆくまでご堪能いただきます。
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六つのテーマ② 間や沈黙にたたずむ美学 無音の豊かさに浸る
邦楽は西洋からもたらされた五線譜の音楽とは異なる音楽観に貫かれています。その代表的なものの一つが間や沈黙といった音が発せられない部分にある音楽性です。これは、西洋音階における何拍休むと指定される休符とは思想が全く異なるものです。また、“無音を聞く”というと、西洋音楽での代表的なものとして、ジョン・ケージの『4分33秒』が挙げられますが、東洋的な音楽観による無音はそこまで徹底した理論的なものでもありません。
間は演奏者同士における駆け引きの一つであり、沈黙は音と音との間にあって、その音楽を豊かにする音の一つであり、間と沈黙を含めて、曲が出来上がっています。無音もまた音のない一つの音なのです。
杵屋正邦
杵屋正邦《きねやせいほう》(1914-1996)は、長唄三味線の家に生まれ、歌舞伎の三味線方として活躍する一方で、西洋の作曲理論を学び、作曲家として活動を始めます。戦後は映画や舞台音楽、NHK大河ドラマの挿入曲などを精力的に描き続けました。1975年に発表された『明鏡(めいきょう)』(1975)(2時の部)は、尺八と三絃は間合いや呼吸法が似ているという点に着目して書かれた曲です。休符記号では表現しえない“間の美学”をお楽しみいただきます。
佐藤聰明
佐藤聰明《さとうそうめい》(1947-)は、母は日本舞踊、祖母が三絃の名取という環境に育ちました。作曲を独学で学び、昭和48年(1973)『太陽讃歌』『リタニア』を発表しました。以来、欧米特にアメリカで彼の作品は幅広く演奏され、絶大な支持を得ています。国立劇場は佐藤に尺八と十三絃箏による新曲を委嘱し、完成したのが『海峡(かいきょう)』(1996)(5時の部)です。「我々の伝統音楽の特質は、その一音一音に秘められた限りない沈黙の深さだろう」という佐藤の言葉通り、深い沈黙に込められた宗教的ともいえる高い精神性を肌で感じていただけるでしょう。日本の伝統音楽ならではの無音の豊かさに浸っていただきます。
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六つのテーマ③ 戦後に生まれた伝統音楽 蘇った古代の音
近世以前に確率した伝統的な邦楽器も、時代が下るにつれて様々な改良が施されてきました。例えば、通常の箏は十三絃ですが、宮城道雄は十七絃箏を開発し、現在では一般的な邦楽器として定着しています。また、現代においては、1969年に作曲家三木稔《みきみのる》と箏曲家野坂惠子《のさかけいこ》(後の二代目野坂操壽《そうじゅ》)により二十絃箏が開発されました。
入野義朗
作曲家であり、また桐朋学園を中心に後進の育成にも力を注いだ教育者であった入野義朗《いりのよしろう》(1921-1980)は、日本で初めてシェーンベルクの十二音技法で作曲したことでも知られています。理論家でもあった入野が新たに開発された二十絃箏のために書き下ろしたのが『二つのファンタジー』(1969)(2時の部)です。二十絃箏の可能性を極限まで引き出すために書かれた本曲は、超絶技巧の難曲としても有名です。
一柳慧
国立劇場では、邦楽プロデューサーであり、優れた音楽評論家でもあった木戸文右衛門《きどぶんえもん》(当時、木戸敏郎《としろう》)を中心に、1980年代ごろより、奈良東大寺の正倉院に残されていた古代楽器の遺物を復元する運動を展開しました。この活動により古代の楽器である「箜篌(くご)」「瑟(しつ)」「七絃箏」などが現代に蘇りました。そして蘇った古代の音のための曲が委嘱されたのです。
作曲家でもありピアニストでもあった一柳慧《いちやなぎとし》(1933-2022)は、ジョン・ケージに影響を受け、一時前衛的な音楽活動を展開していましたが、次第に音楽における空間要素に関心を示すようになり、現代日本を代表する作曲家となりました。また、80年代以降は邦楽器のための作品を数々発表し、国立劇場でもたびたび新曲を委嘱して参りました。今回上演する『水の相対(みずのそうたい)』(1989)(5時の部)は、国立劇場が復元した古代の楽器「瑟」と「七絃箏」のために書かれた曲です。初演時の「日本の伝統的な音の味わい方や把え方には西洋音楽の場合のような純粋に聴覚的なものとは異なり、触覚的ともいえる要素が働いている。」という一柳の言葉の通り、蘇った古代の楽器の音の“触感”から生まれた音楽には、音階やハーモニーだけでは捉えきれない何かがそこに立ち現れてきます。
ぜひとも劇場で、蘇った古代の音の感触を直接感じてください。
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六つのテーマ④ 伝統楽器の多彩な表情 広がる音の世界
諸井誠
楽器には、音の大小、高低、緩急強弱と様々な表情が込められています。が、一般に古典邦楽において使われる音域はある程度決まった範囲の中におけるものであり、邦楽器の音の可能性を広げようという試みが行われました。
諸井誠《もろいまこと》(1930-2013)は、黛敏郎《まゆずみとしろう》、入野義朗、音楽評論家の吉田秀和《よしだひでかず》らと前衛音楽集団である二十世紀音楽研究所を発足し、また活発な評論活動や、NHKのクラシック番組への出演などで広く現代音楽を紹介し、戦後の現代音楽を牽引してきた一人です。
諸井は日本の伝統音楽に宿る緊張感に着想を得て、『有為転変(ういてんぺん)』(1973)(2時の部)を発表します。絃楽器(箏・十七絃)、管楽器(尺八)、打楽器(小鼓・太鼓等)の三者の力関係がぶつかり合い抗争する、非常にパフォーマティブな作品で、邦楽器の力を一倍強く見せるものとなっています。
廣瀬量平
廣瀬量平《ひろせりょうへい》(1930-2008)は北海道函館出身の作曲家で、長く京都市立芸術大学の音楽学部教授を務めました。彼の代表曲であるフルートオーケストラによる『ブルートレイン』や、リコーダー作品としてヨーロッパではスタンダードナンバーとなっている『哀歌(ラメンテーション)』『瞑想(メディテーション)』、邦楽器をオーケストラに取り入れた画期的例として高校の教科書にも掲載された『尺八とオーケストラのための協奏曲』など、特に管楽器の特性を最大限に使う曲をいくつも手掛けています。
国立劇場の委嘱により発表された『南溟暁歌(なんめいぎょうか)』(1998)(5時の部)は、邦楽器の中でも特に尺八や笛といった管楽器に着目して書かれました。廣瀬は、日本の管楽器の音楽を「ストイック」で「峻厳な山岳」と譬え、極めて精神性の高い「北方的緊張」と表現しています。それに対し、その正反対の「明るい南方的開放感」を目指して書かれたこの曲では、邦楽器固有の厳粛性を保ちながらも、明るく色彩感溢れる、邦楽器の新たな一面を開拓しました。
日本の伝統音楽が持つ多彩な一面を感じていただきます。
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六つのテーマ⑤ 身体が紡いだ歌と音楽 民族音楽としてのDNA
デジタルでない限りにおいて、楽器は一人で音を出すことはありません。常に演奏する人間がいるということは、その身体性と不可分であるといえます。そして、それが古典として、民族や各地域に継承されてきたことにより、その独特の型や表現技法が生まれてきます。それは民族音楽としてのDNAともいえるものです。
高橋悠治
高橋悠治《たかはしゆうじ》(1938-)は、音楽評論家の父、ピアニストの母を持ち、本人も早くからピアニストとして活躍する一方、作曲家としては1960年代よりコンピューター音楽に着目して、実験的な作品を発表してきました。高橋は1990年から、箏曲家・三絃奏者でもあった高田和子《たかだかずこ》との出会い以後、共同の作品を発表するようになり、『三絃散手(さんげんさんじゅ)』(1992)(2時の部)を発表します。高橋は、伝統的に長い時間をかけて培われてきた三味線音楽固有の手(旋律)を応用、コンピュレーション(編集)して、演奏者の傑出した技芸を最大限に発揮するための曲を書き上げました。民族音楽のDNAと優れたデジタル思考により生まれた作品といえるでしょう。
間宮芳生
青森で育った作曲家の間宮芳生《まみやみちお》(1929-)は全国津々浦々の民謡にも関心を寄せていました。楽器の演奏に限らず、歌や語りの中にも特有の身体性が刻まれています。国立劇場は江戸時代の東北で流行した「奥浄瑠璃」を上演するテキストとして、江戸時代後期の本草学者・菅江真澄《すがえますみ》の旅日記を採用しました。その半生を旅で暮らし、当時の陸奥の庶民の生活を克明に記した菅江真澄の日記の言葉は「節づけを待っていた」と間宮は語ります。『琵琶に磨臼(びわにするす)』(1997)(5時の部)は、当時上演された「奥浄瑠璃」より、陸奥の琵琶法師が昔話の「琵琶に磨碓(すりうす)」を子どもに請われて語った様子を記録された部分で、東北の方言が持つ身体性が琵琶の音とともに強く聞き手に伝わってきます。
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六つのテーマ⑥ 日本の歌曲の現代型 新しい歌曲の創造を目指して
日本の伝統音楽は、中世以降、声楽すなわち歌とともにありました。能楽の謡や浄瑠璃、江戸の歌舞伎音楽である長唄、常磐津、清元、すべて歌詞があり、曲がありました。一方、明治以降、西洋のオーケストラ形式の導入から発展してきた現代邦楽は、器楽中心に発展してきました。やがて、現代邦楽が邦楽器の可能性を追及する先に、日本の伝統に立ち返る形で新しい歌曲の創造が模索されていったのです。
中能島欣一
中能島欣一《なかのしまきんいち》(1904-1984)は、山田流箏曲中能島派四世家元として人間国宝・文化功労者にも認定された箏曲家です。また優れた箏の演奏家でありながら、作曲家としては西洋音楽に強く感化された現代邦楽曲を多数発表しており、同時代を生きた箏曲家であり、作曲家であった宮城道雄とは全く異なるアプローチで現代邦楽を牽引、その業績は高く評価されています。
『斑鳩宮(いかるがのみや)』(1955)(2時の部)は、詩人三木露風《みきろふう》の詩をテキストにして書かれた歌曲です。雅楽の響きから始まり、様々な楽器の響きを巧みに操り、時に語り物調になり、また琉球音階をも駆使して曲を盛り上げていきます。古典らしさを尊重しつつ、歌・演奏の比重を巧みに配分した現代歌曲の名作といえる作品です。
湯浅譲二
国立劇場は数多くの新曲の委嘱初演を行ってきましたが、器楽曲が中心でした。そんな中、国立劇場が初めて声楽を含む合奏曲を委嘱したのが、湯浅譲二《ゆあさじょうじ》(1929-)です。湯浅は郡山の開業医に生まれ、本人も慶応大学医学部に進学しましたが、幼少期より親しんだ音楽の道に進んだ異色の経歴の持ち主です。総合芸術グループ「実験工房」に参加し、武満徹らとともに活動しました。のちにはカリフォルニア大学サンディエゴ校の音楽部教授を務めました。
湯浅が作曲した『風姿行雲(ふうしこううん)』(1988)(5時の部)は、テキストを湯浅の友人で戦後を代表する詩人の一人である大岡信《おおおかまこと》が撰歌して、湯浅の「私の音楽を貫通する、宇宙の相即相入(そうそくそうにゅう)、天地合体(てんちがったい)、主客合一(しゅきゃくごういつ)」という宇宙的な音楽観を体現した傑作歌曲です。
言葉と音楽が綾なす世界を存分にご堪能ください。
多くの人々が、そして国立劇場が、邦楽を未来に繋いでゆくために試行錯誤し続けてきた創作の軌跡の集大成ともいえる本公演。現代を代表する作曲家たちの、いずれ劣らぬ傑作ぞろいです。これほど多数の作品が一挙に上演される機会は滅多にありません。いずれの曲においても将来の飛躍が期待される実力者による瑞々しい演奏をお聴きいただけるでしょう。
本公演を通して、現代邦楽の成果と可能性を感じていただき、新たなる才能を呼び覚まし、未来へ繋げて行くことが我々の望みです。
この機会をお聴き逃しなく!
●「現代邦楽名曲選」特別インタビューを公開中!
6月邦楽公演「現代邦楽名曲選―創作の軌跡―」では、これまで数々の舞台で活躍し、今日までの日本の音楽文化の発展を牽引してこられた先輩演奏家にインタビューを行いました。
初演時のご経験や作曲家との交流、上演までのプロセス等、ご演奏家ならではの観点から振り返ります。国立劇場との想い出も盛りだくさん!
はじめに、特別インタビューで先輩演奏家のご経験を学び、その後、本公演をご覧いただくことで、きっと名作誕生の全容を知ることができるでしょう!
今後さらに邦楽が発展し、新しい日本の音楽を開拓していくために、本公演の上演とあわせて是非ご覧ください。
「現代邦楽名曲選」特別インタビューはこちらから
https://www.ntj.jac.go.jp/topics/kokuritsu/2023/6109.html
プレスリリースはこちらからダウンロードしてください
https://prtimes.jp/a/?f=d47048-606-2073057d0937fc2c850a5e39ed77f61b.pdf
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初代国立劇場さよなら公演
6月邦楽公演
「現代邦楽名曲選 ―創作の軌跡-」
(午後2時開演)
宮城道雄作曲
『越天楽変奏曲』(1928)
杵屋正邦作曲
『明鏡』(1975)
入野義朗作曲
『二つのファンタジー』(1969)
諸井誠作曲
『有為転変』(1973)
高橋悠治作曲
『三絃散手』(1992)
三木露風作詞
中能島欣一作曲
『斑鳩宮』(1955)
(午後5時開演)国立劇場委嘱作品より
武満徹作曲
『秋庭歌』(1973)
佐藤聰明作曲
『海峡』(1996)
一柳慧作曲
『水の相対』(1989)
廣瀬量平作曲
『南溟暁歌』(1998)
間宮芳生曲
奥浄瑠璃『琵琶に磨臼』(1997)
大岡信撰歌
湯浅譲二作曲
『風姿行雲』(1988)
※出演者は劇場ホームページをご確認ください。
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2023/5612.html
主催=独立行政法人日本芸術文化振興会
協力=株式会社春秋社
【公演詳細】
令和5年 6月10日(土) 午後2時開演/午後5時開演(午後4時/午後7時15分終演予定)
※各部休憩あり
国立劇場 小劇場(〒102-8656 千代田区隼町4-1)
【料金[税込]】
全席指定 6,000円(学生4,200円)
【2時の部・5時の部】セット料金 11,000円
※障害者の方は2割引です。(他の割引との併用不可)
※車椅子用スペースがございます。
チケットのお求めは
国立劇場チケットセンター 0570-07-9900
国立劇場について
日本の伝統芸能の保存及び振興を目的として昭和41年(1966)に開場。外観は奈良の正倉院の校倉造りを模している。大劇場・小劇場・演芸場・伝統芸能情報館を備え、多種多様な日本の伝統芸能を鑑賞できる。初心者や外国人を対象とした解説付きの鑑賞教室も開催している。
所在地:東京都千代田区隼町4-1
03-3265-7411(代表)
「未来へつなぐ国立劇場プロジェクト」
明治以来の国立劇場設立構想からおよそ100年。
伝統芸能の保存と振興に取り組むため、昭和41年国立劇場が誕生しました。
そして半世紀。
これは国立劇場が未来へ向けて新たな飛躍を目指す一大プロジェクトです。
特設サイト