株式会社小学館のプレスリリース
発売即大重版を決めました!
直木賞受賞第一作、一穂ミチ『恋とか愛とかやさしさ なら』は小学館より好評発売中です。
本作品に、エッセイスト・yuzukaさんが書評を寄せてくれました!
本作は、人と人が「わかり合う」こと、「信じる」ことの難しさをテーマに、一穂ミチが繊細な筆致で描き上げた傑作です。yuzukaさんは書評の中で、自身の人生と照らし合わせながら本作の魅力について語っており、読者に新たな視点を提供します。
一穂ミチ『恋とか愛とかやさしさなら』 、エッセイスト・yuzukaさんによる書評
もしもあなたの恋人、婚約者、あるいはパートナーが、女子高生のスカートの中を盗撮をしたら。
その事実を知った時、あなたはどんな感情を抱くだろうか。少し考えてみてほしい。
私もこの書籍を手に取る前に、自分に同じ問いを投げかけた。
私の場合、その時に瞬時に湧き上がった感情は、「怒り」「絶望」「拒絶」「悲しみ」だ。
そして多くの女性は、私と同じ答えを思い浮かべるのではないだろうか。
愛? そんなものはどうだって良い。だって、どう考えても許せない。どれだけ愛があったとしても、「性加害」は圧倒的に「悪」なのだ。描かれている加害者の事情や気持ちなど心に浮かぶ余地もなく、圧倒的な嫌悪感だけが私を支配した。
しかし、物語を読み進めるにつれ、私は自分の想像力の乏しさに驚かされる。なぜならこの物語は、起こった事件について「許す」か「許さないか」を問う物語ではなかったからだ。
読み進めるうちに、思い出す。
大切な人が思いもよらない不義理を働いた時、私たちの頭を支配するのは「許せない」という怒りではなく、「分かりたい」という混乱ではなかったか。
浮気や嘘のような身近な裏切りに心を晒された時もそうだった。
目の前にどれだけの証拠があっても、事実は理解していても、周囲から咎められても、それでもまずは、「この人を分かりたい」と思った。
なぜそんなことをしたのか、なぜそうなってしまったのか、なぜ…。相手が大切な人であればあるほど、理解したくなってしまう。
そしておそらく、それが女子高生への盗撮であったとしても同じだ。きっといざ現実にその状況へ直面したら、私の心はそうすぐにはシャットダウンできず、おそらく他の事象と同じくまずは「分かりたい」という思いを湧き上がらせるだろう。人の心は愛しい人を目の前にすると、その人のことをすぐさま正義で裁き、拒絶できるほど単純にはできていないのだ。
それでも周囲は、いつだって無責任に答えを急かす。当たり前の正義を振りかざし、それぞれが思う結論を押し付けようとする。例えば本書なら、常識的に考えればすぐさま拒絶して別れを突きつけるべきだというのは明白だ。実際に婚約者の姉は、私がこの本を読む前に感じたような「当たり前の正論」を新夏へ投げつけ、正義に基づいて即座に拒絶できない新夏を責める。
しかし私には、新夏の気持ちが理解できる。私たちが大切な相手に裏切られた時にできることは、溺れそうになりながらも「分かりたい」ともがくことだけだ。愛があるからこそ、理解できないことが苦しく、それをどうにか理解しようとする衝動に駆られる。怒りや悲しみ、絶望を抱いて拒絶ができれば、どれほど楽だろう。
許すとしても、苦しい。許さないとしても、苦しい。
そして「分かりたい」という気持ちは、まさしく愛から生まれるものだと、私は考える。それは自覚的ではないにしろ、その人への拒絶ではなく、むしろ受け入れるためのプロセスなのだ。
本書の場合、その状況は過酷だ。主人公の新夏はその夜、ついさっき婚約者となったばかりの相手からプロポーズを受けた。終電間近、共通の知人が開いた結婚式の帰り道、酔っ払った彼から電話がかかってきて、愛しさが募る中でのプロポーズだった。
読んでいるこちらにまで伝わりそうな、心地よい夜風と、電話を通して通じ合う浮かれた心。
「じゃあ、電車に乗るから明日ね」そう言って電話を切った愛しい婚約者は、その後に乗った電車で、女子高生を盗撮した。
新夏はその事実を、翌朝義母からかかってきた「啓久が盗撮で警察に捕まった」という電話で知ることになる。
「あれだけ幸せだったはずなのに、どうして?」
そこからはまるで靄がかかったかのように、新夏の心は宙ぶらりんのまま、停止してしまったはずだ。
嘘だと思い込もうにも、当の本人は盗撮を認めている。それも理由を聞いても、「分からない」「出来心」と答えるものだから、それがまた、新夏を苦しめた。
理解できなければ、怒ることも悲しむこともできない。そして当然、許すことも許さないこともできない。だからこそ、どれほど知りたくなくても、目を背けたくても、「分かる」ことが必要になる。その答えが例え、見ることで心がぐちゃぐちゃに潰れてしまうような、そんなパンドラの箱の中にあったとしても、それでも見なければ、先には進めない。だから、もがく。その姿は、外から見れば露骨かもしれない。それでも彼女は、分かるために必死で足掻き、答えを見つけようとする。
にも関わらず、どうにか「分かろう」とする新夏を置き去りに、周囲は慌ただしい。
弟の性加害が許せず、「絶対に許すな」と憤慨しながら、ネットではツイフェミ化して無差別に男性を罵る姉。「あなたにはもったいない相手なのだから、”これくらいのこと”は許せ」と無神経に世話を焼く友人や、「こんなことで破談にはしないわよね」とでもいいたげに、見事に事件をもみ消した義母。
そして何より、婚約者本人だってそうだ。
心が止まったままの彼女に対し、彼は理由を曖昧にしたまま、軽率に土下座し、許しをこう。
その中で、新夏の心の違和感など誰も解消しようとしない。周囲はいつまでも、「許す」か「許さないか」の二択で、彼女を追い詰めるのだ。
許すことのつらさと難しさを、彼らは知っているのだろうか。いや、おそらく少なくとも「許される側」は知らないはずだ。許すと言った瞬間「許されたのだ」と思うし、次の日には「許してくれたのに」と過去になるのだから。しかし実際には、「許す」というのは、一瞬の作業ではない。一度「許す」と決めた側は、生涯に渡って、許し続けなければならない。
許す側は果てしない体力を使い、我慢に我慢を重ねて、身体中の神経が逆立つのを、日々ネジ伏せることになる。だからこそ、許すのなら、「何を」許すのかを理解したいというのは、ある種当然のことだと思う。
ちなみに本書を読みながら気づいたのは、登場する人物がそれぞれ、何かを諦めているという共通点を持っていることだ。
それは啓久やその母だけではなく、後から出てくるこの事件の被害者である莉子や、新夏の父、そして母にも共通する。
彼らの無責任さやこの状況に対して軽すぎる態度は、おそらくその「諦め」から来ているのではないだろうか。彼らは苦い現実を抱え切れない時、諦めることで前に進んできたのかもしれない。向き合わずに踏みつけ、飲み込むことでしか、彼らは事態を受け入れることができない。だってそれが、一番楽だから。それはある種の自傷行為だということに、彼らは気づかない。
彼らの物事への向き合い方は徹底して「目を背ける」ことだ。だからこそ、その事柄に必死で向き合おうとする新夏の気持ちが理解できずに、追い詰める。
そしてそれは何も、彼らが特殊だということではない。寧ろこの登場人物たちそれぞれがもつ不完全さが自身とリンクすることで、読んでいるうちに何が正解か分からなくなるのだ。読みながら自分が持つ加害性やいい加減さに気付かされ、居心地が悪くなる瞬間もある。しかしそれこそが、本書の魅力だ。きっとこれから読む人も私と同じように、誰かに自分を重ね、ぞわぞわするのではないだろうか。その「ぞわぞわ」の正体を、是非探ってみてほしい。そこにあなたの抱える「人間味」の本質が隠れている可能性がある。
私で言えば、今回の盗撮被害者である莉子は私そのものだった。「盗撮なんて」と笑う彼女は、読みながら昔の自分を見ているようで痛々しく感じて、抱きしめたくなる。
それにしてもこれだけ人のグロテスクな「諦め」や、「分かりたい」という欲望をリアルに書けるとは、作者である一穂ミチさんとは一体何者なのかと、想像が膨らむ。
人間ならだれもが抱えているであろう不完全さ、そして隠れた加害性、どうしようもなさ。それらに翻弄されながら新夏が出す答えも含めて、是非見守っていただきたい。恋とか愛とかやさしさ なら、彼ら彼女らはどんな答えを出すのだろうか。
yuzuka
【 Xフォロワー約15万人のエッセイスト】
https://note.com/yuzuka_tecpizza/n/n7ffd8f0123ff
<あらすじ>
カメラマンの新夏(にいか)は啓久(ひらく)と交際5年。プロポーズしてくれた翌日、啓久が通勤中に女子高生を盗撮したことでふたりの関係は一変する ── 信じるとは、許すとは、愛するとは。
男と女の欲望のブラックボックスに迫る、著者新境地となる恋愛小説です。
作品の冒頭部分の試し読みができます→ https://www.shogakukan.co.jp/pr/koitoka
<著者紹介>
一穂 ミチ【いちほ・みち】…… 2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。『イエスかノーか半分か』などの人気シリーズを手がける。21年刊行の『スモールワールズ』が本屋大賞第3位。同作で吉川英治文学新人賞を受賞し、直木賞候補になる。22年刊行の『光のとこにいてね』は本屋大賞第3位、キノベス第2位。同作で直木賞候補になり、島清恋愛文学賞を受賞。24年『ツミデミック』で第171回直木賞を受賞。他の著書に『パラソルでパラシュート』『うたかたモザイク』など。
一穂 ミチ『恋とか愛とかやさしさなら』
定価:1,760円(税込)四六判上製 240ページ
2024年10月30日発売 小学館
ISBN978-4-09-386739-9