スパルタ式指導の“鬼コーチ”を変えた 日本水泳トップコーチの言葉

朝日放送テレビ株式会社のプレスリリース

夢のメダルへ! “鬼コーチ”35年の闘い
12月1日(日)午後4時25分~午後5時25分(関西地区で放送)
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■”鬼コーチ”と選手たちが流した汗と涙 35年間の闘いの日々
飛込界のレジェンド・寺内健さんなど数々のオリンピック選手を育てた水泳・飛込競技の馬淵崇英コーチは”スパルタ式”の指導だ。あまりの厳しさでその手法についていけなくなる選手もいる。自分の指導手法に悩む崇英コーチだったが、転機となる出来事が起きる。果たして2024年パリ五輪で教え子の高校3年生・玉井陸斗選手は日本飛込界初のメダルを取れるのか?馬淵崇英コーチの35年間の闘いの日々を追った。

 高さ10メートルからアクロバティックな技を披露する「飛込」。男子は6本、女子は5本の異なる技を飛び、合計得点で順位を競う。水しぶきがたたない「ノースプラッシュ」が高得点となる競技だ。
 水泳・飛込競技のコーチ馬淵崇英(61)は中国・上海がふるさと。飛込の英才教育を受け、オリンピック出場を目指すが、世界トップレベルの水準の中国代表は、雲の上の存在だった。夢破れ、19歳で選手を引退、25歳で日本へ渡った。

来日後、兵庫県宝塚市でオリンピック3大会に飛込競技で出場した実績を持ち、当時トップ選手を育てる指導者を探していた馬淵かの子と出会う。かの子は世界トップレベルの中国で指導を受けた崇英なら強化方法をそのまま導入できるはずと考え崇英と共に子どもたちの指導を始めた。

しかし崇英のトレーニングは中国式のスパルタ指導。その厳しさに子どもたちは元のコーチのところへ戻ってしまう。気持ちが揺れていたとき出会ったのが、小学5年生の寺内健だった。崇英が「金の卵」と見初めた寺内は、1996年15歳でアトランタ五輪に出場する。
指導者として生きていくことを決めた崇英は1998年日本国籍を取得。身元保証人だった馬淵かの子の苗字を名乗り日本人「馬淵崇英」になった。寺内は2000年のシドニー五輪にも出場し5位の成績を収める。自らの指導に自信を深めていった崇英はますます“鬼コーチ”に。「飛込という競技は根性が非常に求められる。コーチも根性で勝負する」という信念に基づき、いまなら「パワハラ」といわれるであろう指導を続けた。

 2014年、中学3年生の板橋美波が飛込の新星として現れた。女子で世界初、4回転半の大技を成功させリオ五輪のメダル候補と注目される。しかし板橋は優勝候補として臨んだ日本選手権でミス、涙にくれる板橋に崇英が厳しい言葉を浴びせる。この時板橋に寄り添ったのが馬淵かの子だった。崇英が気を遣いながら厳しく指導していることをそっと板橋に告げ、精神面で支えたのだ。かの子の指導から崇英は“選手と心を通わせること”の大切さに気付く。2016年リオ五輪で板橋の結果は8位。それでも崇英は板橋の涙に寄り添った。
 

なぜ、かの子はそうまでして崇英を支え続けるのか。実は60年前に人生を左右する“事件”があった。1964年の東京五輪で起きた”事件”とは?
 そして、かの子が才能を見出した玉井陸斗は12歳7か月で日本室内選手権へ出場し史上最年少優勝。14歳で2020年の東京五輪(※実際の開催は2021年)への切符を掴む。“鬼コーチ”崇英の心境にも変化が現れていた「厳しくすればレベルアップするというのは、前の時代のもの」。北島康介などトップ選手を育てた平井伯昌コーチの思想に感銘を受けたのだ。「選手の心理的特性を見抜かないと力は引き出せない」という平井コーチの言葉は崇英の心に響いた。玉井には厳しい言葉は必要ない。馬淵かの子とともに玉井を指導してきた崇英。玉井も「崇英コーチにはまだメダルをかけてあげられていない。夢を自分が叶えたい」と意気込む。果たしてパリ五輪で夢は叶うのか?

■放送概要
「ABCドキュメンタリースペシャル 夢のメダルへ! “鬼コーチ”35年の闘い」
2024年12月1日(日)後4・25~後5・25
(ナレーション)藤崎健一郎(ABCテレビアナウンサー)
(スタッフ)プロデューサー 西一樹(ABCテレビ)、
      ディレクター  白附優(ベスティ)
      企画      東野裕(ABCテレビ)
      制作 ABCテレビ

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