株式会社エンタメラボのプレスリリース
本稿は、「ロックの再定義」をコンセプトに掲げる新感覚音楽フェス「SAMURAI SONIC」実行委員長のダイジローによる対談企画である。音楽業界において新興勢力である同氏が、業界の第一線で長年活躍する有識者、フェスを彩るアーティスト、および現場を創り上げる関係者らをゲストに招き、知られざるエピソードや業界の動向について深掘りしていく。
第1弾となる今回のゲストは、数々の音楽番組やスポーツ番組でMC・ナレーターとして活躍し、日本の音楽シーンを最前線で見つめてきた鮎貝健さん。自身のキャリアの原点から、90年代のフェス黎明期、現在のシーンの変遷、さらには海外アーティストとの裏話まで、余すところなく語っていただいた。

『ジャンクSPORTS』の裏話と、アメリカで始まったバンド活動
鮎貝健さん(以下、鮎貝):『ジャンクSPORTS』は元々は深夜番組だったのが、それがゴールデンに上がって。最初はちょっと正直ゴールデンとか言うと、「もう1年ぐらいで終わっちゃうのかな」と思ってたら、10年やらせていただいて。その後は単発のスペシャルとかを、5年ぐらい続けてたんですよ。
ダイジロー: どういう流れでナレーションであったりとか、今のところまでたどり着いたのか、なかなか興味深いです! ちなみにご出身はどちらですか?
鮎貝: 出身は東京なんですけども、父の転勤の関係でアメリカに行ったりとかしてて。自分は幼少の頃はアメリカだったんですけど、そっから高校に上がる時に……小学校3年から日本なんですけど。結局、自分が高1に上がる時にもう1回(父が)転勤になって。日本の高校に進学することになり、私だけ日本に残りました。親戚の家など転々として、その間もう1年間、家族の元にっていうことでアメリカに行って、そこで弟がバンドやってて、そこのバンドに入れてもらって。
ダイジロー: アメリカでバンドが始まったんですね。
鮎貝: そう。日本人ばっかりでバンドを組んでいます。日本に帰ってきて色々また、当時のコピーバンドとか。時代的には80年代の半ば、Bon JoviとかKISSとかそういう。
ダイジロー: めちゃくちゃいいっすね!
MTVオーディションから、MC・ナレーターの道へ
鮎貝: その頃すごい洋楽のロックがいっぱいあって、それで日本に帰ってきて、また出会いがあってバンド活動をやってて。レコード契約を目指してたんですけど、暗中模索していた時期に、たまたま電車の中で関係者の方に声をかけていただき、MTVジャパンのオーディションを受けました。最初はキープ状態だったんですが、アメリカ側のスタッフが私の雰囲気を気に入ってくれて。そこからJ-WAVEでの番組立ち上げ、『ジャンクSPORTS』や『JAPAN COUNTDOWN』へと一気に繋がっていきました。
ダイジロー: 社会人=ナレーターというかMCとかをずっとやられてるんですね。
鮎貝: 同時にバンド活動とか音楽の方もやってたんですけど、そっちは細々と続けてる感じですけど。
ダイジロー:(『ROCK FUJIYAMA』で共演している)マーティ・フリードマンさんとはめっちゃ仲良いですよね?
鮎貝: 2005年ぐらいだったかな。スクウェア・エニックスさんから『ヘビーメタルサンダー』っていうゲームが発売されるっていうんで、それを宣伝するための『ヘビメタさん』っていう番組が立ち上がったんですけど。自分と熊田曜子さんとマーティ・フリードマンで始めて。最初はゲームの宣伝番組だったんですけど、すごい手応えを感じた制作会社が半年かけて企画してくださって、その半年後に『ROCK FUJIYAMA』という番組で地上波でまた復活して。それは1年ぐらいで一段落したんですけど。 コロナの頃にマーティのマネージャーさんから連絡があって、「もう1回ちょっと『FUJIYAMA』をやりたいんだ」って。それでYouTubeっていう形で、現在も。今、マーティとROLLYさんと3人でやってるんですけど、二人ともアーティストなんで、盛り上がっちゃうと進行が二の次になっちゃう。交通整理する人が必要だっていうんで、自分がやってるうちに。自分も音楽やってるんで、3人でCD作ったりとか。マッチ(近藤真彦)さんのトリビュートに3人で参加したりとか。
ダイジロー: そうなんですね!最高です!

『ROCK FUJIYAMA』の躍進と、幻の『空耳アワー』出演
ダイジロー: 『空耳アワー』も長くやられていますよね。
鮎貝:それが出れてないんですよ!でも(『ヘビメタさん』と) 同じ制作会社だったんですよ。ディレクターというかプロデューサーも一緒だったんで、「是非僕、『タモリ倶楽部』に出たいんです」ってずっと言ってたんですけど、「DJって言うとクリス・ペプラーだからな」とか言いくるめられて。そうこうしてるうちに番組が終わっちゃって。一度も出られなかった。
ダイジロー: ROLLYさんは『THE夜もヒッパレ』によく出てましたね。
鮎貝: 『ヒッパレ』も同じ制作会社ですね。今の『秘密のケンミンSHOW』も。
ダイジロー: ああいうガヤガヤする感じですね!そういう番組が好きです。
鮎貝: 僕もそういう番組好きなんですけど、同じ制作会社って知らなくて『タモリ倶楽部』みたいなのが好きなんですよねって言っていたらブラックな雰囲気になって(笑)。一回飲み屋さんで(『タモリ倶楽部』に出演していた)安齋(肇)さんにばったりお会いして。「大好きです、奢らせてください」って言ったりしてて。安齋さんが帰られる時に、またビールが店の方から出てきて、「安齋さんからです」って言われてかっこいいなって。結局、空耳(ネタ)は作れなかったですけど。
ダイジロー: ちょっとブラックな感じというか。楽しいですよね。『空耳アワー』とか。今はコンプラとかうるさいですからね。今あれをやれるかわかんないですけど、『空耳』はめちゃめちゃギリギリというか。よくCDで聴いてるものが本当に『空耳アワー』で取り上げられたりしてて。
『SAMURAI SONIC』への期待と、変容するフェスカルチャー
ダイジロー: 今僕は37歳の年なんですけど、初めて行ったライブはマキシマム ザ ホルモンだったり、10-FEETとか。『ARABAKI ROCK FEST.』っていう仙台のフェスに初めて行って。会社員時代を経て、2020年にこのイベント(SAMURAI SONIC)を立ち上げています。コロナをきっかけに立ち上げた時の動員が最初800人ぐらいで、今年、幕張で4回目やれてるんですけど。フェスの変化とか見ててどうですか?
鮎貝: ものすごくフェス自体が増えましたよね。それぞれカラーもありますし。サマソニとかは昔はもっと本当のロックフェスみたいな感じだったのが、だんだんアイドルの方も出たりとか。いい意味で色んなジャンルが一緒になったり。ヘッドライナーも海外から来ていてすごく豪華だったり。フジロックもだんだんそうなってきたかなと思います。去年は山下達郎さんが出たり。どういう流れで達郎さんが(フェスに)出る気になったのか、フェスマジックだなと感じます。
ダイジロー: 当時のフジロックとサマソニって言ったら、もう本当に海外からヘッドライナーがドーン!みたいな。
鮎貝: フジロックは97年に天神山でやって、98年に豊洲でやったんですよね。豊洲がまだ開発途中の時に。その時に『The Prodigy』とか『Björk』とかなんかすごいのが来て。裏にはLUNA SEAのメンバーがいたり。そしたらその後にLUNA SEAが10万人ライブをやったり、98年に『AIR JAM』が豊洲であったり。

世界へ広がる日本の音楽と、海外ロックシーンの現在地
ダイジロー: 今は媒体も増えて、スマホとかYouTubeが増えて、音楽も変わってきて。韓国ブームとかも入ったり。アメリカのロックシーンっていうのは変わらずですか?
鮎貝: アメリカもロックは今、下火と言われています。去年、ヘビーメタルの帝王オジー・オズボーンがウェンブリー・スタジアムで最後のライブをやった時、満員になって。その時に『EXTREME』のヌーノ・ベッテンコートが言ってたんですけど、「ロックは本来アンダーグラウンドなものだから、そこに戻っている。でもこれだけみんな集まったってことは、アンダーグラウンドはクールなんだ」って。
ダイジロー: 確かにそういうところありますね。最近は日本のバンドもアメリカでライブすることが増えてきていますよね。
鮎貝: あります。でもビザの問題で行ける人が限られているっていうのはあります。ビザが1人100万ぐらいかかるって土屋アンナさんに聞きました。でも払ったの?って聞いたら、自分はアメリカ国籍があるから払わないって言われて。初めて知りました。今年の正月にカウントダウンで、マーティ・フリードマンとライブをやったんですよ。その時にゲストで土屋アンナさんがいらして。バックは『ASTERISM(アステリズム)』っていう、九州の凄く上手い3人組なんですけど。彼らとはアメリカの『Anime Expo』っていう、40万人くらい来るフェスで会ったんですけど。彼らは「うちは100万払いました」って言ってました(笑)。
ダイジロー: 事務所が大変ですね(笑)。
忘れられない海外アーティストとの対談エピソード
ダイジロー: 鮎貝さんがナレーターやMCとして、大事にされていることは何ですか?
鮎貝: 地味な話になっちゃうんですけど、自分の役割というか、最低限何を伝えて欲しいかは主催の方となるべく確認します。「盛り上げていいのか、あの子はあまり煽らない方がいいのか」とか。出番になるとビビっちゃうこともあるんで、「これは盛り上げるところじゃないからいいんだ」って自分に言い聞かせたり(笑)。
ダイジロー: 今、アーティストとの会話とか、対談のお仕事もありますが。
鮎貝: 2009年ぐらいからNHK-FMで『ミュージックライン』という番組があって、最初のDJをやらせていただいて3年くらいやりました。週5日の番組だったので、アーティストのSNSとかからネタを拾ったり、独自の切り口で掘り下げていました。90年代の初めとかは、斜に構えたアーティストも多かったですけどね。「何が聞きたいんだ?」みたいな雰囲気の(笑)。
ダイジロー:鮎貝さんがこれまでで、緊張したアーティストはいますか?
鮎貝: J-WAVEで最初にインタビューしたのがブライアン・アダムスだったんです。レコード会社の担当の方が「ブライアンはインタビュー嫌いなんだよね」って言うから緊張しすぎて。でも大好きな人だったので、いざお会いしたら、最初は困惑してたブライアンも「落ち着いて、お水飲む?」って優しくしてくれて。それは忘れられないですね。90年代はJ-WAVEの企画で、スティングのインタビューのためだけにソルトレイクシティまで行かせてもらったり、恵まれてました。 あと、U2がラスベガスの砂漠のスタジアムでライブをやった時。オープニングのバンドを売り出すから見てほしいって言われて行ったんですけど、こっちはU2で盛り上がっちゃってて。オープニングのバンドの時は時差ボケで寝ちゃったんですよ。それが『Rage Against the Machine』だったんです(笑)。
ダイジロー: もったいない(笑)。アメリカの時差ボケは大変ですもんね。
鮎貝: 当時はレイジもインタビュー受けないとか、アンチ・コマーシャリズムな姿勢がガチでしたけど、今は変わりましたね。昔は絶対インタビューできなかったKornのジョナサン・デイヴィスが、10年経ったらめちゃくちゃフレンドリーになってたり。Slipknotのコリー・テイラーも、お面被ってない時は普通の兄ちゃんで、「インタビューいいよ」って。ヘビーメタルのフェスなのにU2のカバーを歌っちゃって、お客さんがポカーンとしてたり(笑)。
フェスの「カラー」作りと、意外な仙台の繋がり
ダイジロー: 『ROCK FUJIYAMA』のYouTube立ち上げはどうでしたか?
鮎貝: 立ち上げは大変でしたね。マーティの音作りへのこだわりが凄まじくて。試行錯誤の末に今の形に落ち着きました。
ダイジロー: 企画とかも面白いですよね、イントロクイズとか。
鮎貝: 『タモリ倶楽部』を作ってた方が音楽大好きで、色々考えてくださって。DragonForceのハーマン・リが来た時は「早弾きオリンピック」をやったり、SLAYERのケリー・キングが来た時はマーティと日本語でコントみたいなことをしたり。そういう裏側は大変でしたけど、皆さんに喜んでいただけたのかなと。
ダイジロー: ちなみに鮎貝さんは仙台にゆかりがあるとか。僕も仙台出身です。以前SAMURAI SONICで『MONKEY MAJIK』に出演いただいたことがあって、(MONKEY MAJIKも)仙台出身ですし、まさかのご縁ですね!
鮎貝: そうです。先祖が山形から伊達政宗と一緒に仙台に行った派と、謀反を起こして水戸に流れた派に分かれたらしいんですけど、うちは水戸に逃げた方です(笑)。でも気仙沼には遠い親戚が多いと聞きます。今度5月に仙台に行くかもしれないです。友達が葡萄畑でワインを作っていて、そこでキャンプしたり。ただ、妻があまりそういう積極的な方じゃないんで、説得が大変ですけど(笑)。子どもにはいい刺激になると思うんですけどね。
ダイジロー:ちなみにSAMURAI SONICは元々ご存知でしたか?去年は予想外のプロモーションで広がって。今年も広がっていければと思うんですけど、フェスに期待してることとかありますか?
鮎貝: 去年、初めてプロデューサーの方とお会いして。色んなフェスが増える中で、「そのフェスならではのカラー」を出すのが課題かなと思います。差別化というか。例えば『氣志團万博』は、綾小路翔くんがあらゆるアーティストのステージに出るじゃないですか。あれは天才だなと。一つのカラーができている。
ダイジロー: SAMURAI SONICでも、何か強い強みを作っていきたいですね。例えば『ROCK FUJIYAMA』とのコラボとか。
鮎貝: マーティもROLLYも大喜びでやると思いますよ。メーカーの方と協力して、新しいものをフィーチャーしながらスポンサーステージを作るとか、盛り上がると思います。
ダイジロー: 海外のフェスと比べて、日本固有のものってありますか?
鮎貝: 日本だと『花冷え。』というバンドが海外ツアーですごいです。原宿カルチャーとか「可愛い」とメタルのブレンドが受けている。BABYMETALもそうですが、技術が尋常じゃない。そういう日本特有のものをどう見せていくか、バランスが試されているなと思います。
ダイジロー: 今日は思った以上に色々聞けてありがたかったです。
鮎貝: いえいえ、インタビューされるとなかなかまとまらなくて(笑)。いつもは聞く側なので。
ダイジロー: めちゃくちゃ面白かったです!また今後ともよろしくお願いします!

【プロフィール】

鮎貝健さん
生年月日/1970年12月14日
出身地/東京都
最終学歴/学習院大学法学部法学科卒
資格/普通自動車免許、大型自動二輪
語学/英語、ドイツ語
身長 179cm
体重79kg
Bust: 101cm/Waist: 84cm/Hip: 97cm
Shoes: 27.5
日本人の父とドイツ人の母の間に生まれ、幼少期はニューヨーク育ちのトリリンガル。16歳の時に再び渡米しバンド活動を開始。帰国後は学習院大学法学部法学科に進学、在学中にMTVのVJとしてデビュー。卒業後はJ-WAVEやFM802、NHK-FMを中心にラジオDJとしてもキャリアを重ね、テレビ番組やイベントのMC、ナレーションから映画出演まで、幅広く活動。映画は「ブリスター!」「けものがれ」「下妻物語」「スピードマスター」「ROBO☆ROCK」「カンフーくん」「デトロイト・メタル・シティ」といった話題作に出演。アーティストとしては自身がボ−カルを務めるバンドTOBYASでの活動をはじめ、織田裕二への楽曲提供、THE YELLOW MONKEYの英語詞、さらに布袋寅泰、松本孝弘(B’z)、HEATH(X-JAPAN)、LOUDNESS、KEITA(wind-s.)ほか、多くのアーティストの作品クレジットに名を連ねる。国内外のレッド・カーペット・イベントの司会、CMのナレーションも数多く務め、リットーミュージックからは著書『スマートに使える!ロックな英会話フレーズ』を出版。コロナ禍にマーティ・フリードマン&ROLLYと共に立ち上げたYouTube『ROCK FUJIYAMA CHANNEL』の登録者数は35万人を突破し、今なお増え続けている。近年は毎年7月にアメリカはロサンゼルスで開催される北米最大級のアニメ・コンベンション「ANIME EXPO(略称:AX)」のEMCEE (MC)も務めるなど、海外にも活躍の場を広げている。
■現在の主なレギュラー番組■
J-WAVE「DIG UP!」(月〜木 18:50-19:00 週替りナビゲーター)
JAL機内オーディオ番組「WORLD HIT TRACKS」(プレゼンター)
YouTube「ROCK FUJIYAMA Channel」(with Marty Friedman & ROLLY)
NHK-FM「ミュージックライン」(月〜金 21:45-22:30 再: 翌平日10:15-11:00 DJ)
MTV、and more!!!
ダイジロー(SAMURAI SONIC実行委員会)
仙台市出身。3歳から耳コピでピアノを弾き始め、高校時代にロックバンドに心を撃たれてバンドを結成。主にキーボードを担当し、大学卒業まで音楽に明け暮れる。
IT業界勤務を経て、コロナ禍によるロックダウンに直面した際、フェスがどんどん中止になってきた中で、最寄りの仲間達と一緒にフェスを立ち上げる。
その名も「SAMURAI SONIC」。
立川ステージガーデン、豊洲PIT、東京ドームシティーホール(現:Kanadevia Hall)を経て、現在は幕張メッセにてフェスのプロデューサーとして活躍。
本対談企画では、持ち前の好奇心と音楽愛でゲストの魅力を引き出しつつ、音楽シーンや日本文化の熱量を高めるフェス創りへの想いを語っていく。

SAMURAI SONICについて
「SAMURAI SONIC」は“ SAMURAI SPIRIT’s (サムライスピリッツ)”をコンセプトに、2021年のコロナ禍に誕生した「ロックの再定義」を掲げる新感覚フェスで、今回で8回目を迎えます。
イベント公式情報サイト
公式HP:https://www.samuraisonic.com/
公式X:https://x.com/samuraisonic21
公式Instagram:https://www.instagram.com/samuraisonic21
LINE公式:https://line.me/R/ti/p/%40565jixya
公式YouTube:https://youtube.com/@samuraisonic7373
公式Tik Tok:https://www.tiktok.com/@samuraisonicofficial

