「デキる男」吉田城主・酒井忠次と豊臣兄弟ー日記から読み解く戦国時代の豊橋ー

豊橋市のプレスリリース

 徳川四天王の筆頭 酒井忠次は、25年にわたって吉田城(愛知県豊橋市)を拠点に東三河の統治を行いました。

 徳川家康と豊臣秀吉の間に発生した難題の交渉役にご指名され、秀吉から「デキる男」と称賛される程だった忠次。そんな酒井忠次と、豊臣秀吉・秀次の「豊臣兄弟」との繋がりはどのようなものだったのか…。

 酒井忠次と豊臣兄弟を、戦国時代の豊橋の様相も交えて読み解くトークイベントを、令和8年6月27日(土)に豊橋市まちなか図書館で開催します。

明治時代に撮影された吉田城

「徳川商店の東三河支店長」

 酒井忠次は、徳川氏の前身である、松平氏の家臣の家に生まれました。

 徳川家康よりも年上で、青年時代は家康とともに駿府へ赴き、今川氏の人質として過ごしました。桶狭間の戦いで今川義元が敗れ、家康が独立を果たし、東三河を手中に収めると、忠次は25年にわたって吉田城を拠点に東三河の統治を行いました。

 忠次を一言で表すと、「急成長を遂げた徳川商店の東三河支店長」と言って良いでしょう。当時、東三河各地には西郷氏、菅沼氏、戸田氏といった、小規模な領主「国衆(くにしゅう)」と呼ばれる人たちがいました。国衆たちは、言うなれば“クセの強い地元中小企業の社長さん(笑)”。

 忠次は、そのような国衆たちと上手にお付き合いし、その力を使うことで、武田勝頼と争った長篠の戦いや、その前哨戦となった吉田城・二連木城を舞台とした戦いでは、勇猛果敢で知られた武田軍に大打撃を与えました。

 勝ち馬に乗った東三河の国衆たちは出世を遂げ、江戸時代になると大名や旗本に取り立てられたので、彼らは長篠合戦を“幸運の戦(いくさ)”として子孫に語り継ぎました。

調整役として戦国の世で活躍「デキる男・酒井忠次」

 忠次は、戦場でだけでなく、徳川氏と他の戦国大名との間の調整役として活躍しました。調整能力に優れ、家康の信頼も厚く、上杉氏、武田氏、織田信長や豊臣秀吉など、名だたる戦国大名たちとの交渉でも活躍しました。

 特に秀吉からからはデキる男として称賛され、「使者は忠次にしろ」と指名を受けたほどでした。忠次は、秀吉との難しい交渉を家康から任され、見事その任を果たしました。

戦国時代の武士の日記『家忠日記』

 現在の愛知県幸田町の出身で、酒井忠次に仕えた松平家忠(第三代吉田城主松平忠利の父)の日記。『秘本深溝日記』や『参州日記』とも呼ばれ、戦国武将が書いた日記として有名です。

 松平家忠の身辺で起こった出来事が記してあり、徳川家康や酒井忠次の動向を知ることができる貴重な史料です。

 今回のトークイベントでは、この『家忠日記』と豊橋市図書館所蔵資料から、当時の豊橋の様相を読み解きます。

家忠日記増補

<開催概要>

日時 6月27日(土)13:30~14:30

場所 豊橋市まちなか図書館

講師 岡村龍男(豊橋市図書館学芸員)

定員 50人(先着順)

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